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農村部の変化

農村部の高齢者は、若い世代が農村部を離れていくのではないかと危惧しています。
「私たちが死ねば、若い世代が土地を売り、どこかへ移動して行くでしょう。私たちは今自分たちがやっていることに誇りを持っていますし、幸せですが、私たちの後は誰がやっていくのでしょうか?」と、元小学校教師のKhamphan Waenkhwaenは言いました。
「どこへ行っても、都市化とテクノロジーがあとを追ってきます。以前は自然と共存し、戦わなければなりませんでした。今、人々はそこまで強くありません。」と別の村のリーダーは語ります。

最初の変化は1970年代に始まり、労働力を削減するための道具を使うため電気が導入され、物々交換に代わってお金が使われるようになりました。結果、相互依存を弱める消費者運動となり、個人での活動を望む人が多くなりました。高齢者の妥協と和解により論争は一度はおさまりましたが、土地、水道、相続についての対立は続いています。
宗教や精神も影響しています。村人は未だにバラモンに意見を伺い、神のお告げを伝えるシャーマンと3人の占い師が、何かを決める際の手引きをしてきたました。しかし現在は干ばつや疫病などのカタストロフィーは日頃の行いによるものであると信じている人はもはやいません。反社会的行動を制限する意味はなくなったとクラウスナーは言います。

仏教の僧侶は少なく、地域で最も高学歴とされていた頃よりも影響力は少なくなってきています。クラウスナーがかつて訪れた修道院には、20人の僧侶と6人の修道士がいました。
今では、たった3人の僧侶しかおらず、修道士は1人もいません。多くの若者が、雨季の3ヶ月間だけ、通過儀礼として修道士の訓練をします。(現在は、1週間が標準です。)
ルアン・プ・ウォンは農村部に生まれ、20歳の時から僧侶として仕えています。農業アドバイザー、教師、裁判官、人工水路、道路、電気のプロモーター、政府と村人の仲裁人などの多くの役割をになってきました。しかし、今では官庁職員や開発の専門家の着任により、彼の役割は礼拝式や倫理を説くことに限られてしまいました。
「私たちは落とし穴に落ちてしまったのです。」と彼は嘆き、村人の何人かは神聖な日でもギャンブルをしたり、酒を飲んだりという、過去には考えられない事態になっていると説明しました。「もし私たちが禁酒を説けば、彼らは寺院に来なくなるでしょう。」と彼は言いました。

農場に隣接した森で食べる昼食は、「ほっこりとして良かった」と村の高齢者グループと市の職員は話しました。しかし、政治家は「それはゴミのようだ」と言いすてました。
農村部が政治家に対する嫌悪は、2014年5月以来、高まっています。その一撃は、タイの近頃の政治的動乱のサイクルを終わらせましたが、電気の復旧を求める声に煽られてきました。

農村部の高齢者は意外にも焦っていません。
「バンコクの政府が来ましたが、私たちが求めていることは何も起きませんでした。いくつかの国の政策はいいですが、時に地方の人々にとっては不利なものもあります。」と、学校長のThatsanaiは言いました。例えば権威者たちが地下の水道システムを開発したいと思っていますが、それは優先事項ではありません。かんがい施設がまだ完成していないのですから、と彼は言います。学校のカリキュラムは、地方の需要を知らないバンコクの官庁職員によって考案されているといいます。
農村部と首都圏との経済格差はまだ大きいです。最新のデータによると、2013年のバンコクにおける1人あたりの国内総生産額は15,200ドルですが、北東部では2,400ドルだといわれています。