タグ: タイ

タイの現地採用者の昇給について

先日、弊社では人材紹介会社より求人を行っていること、現地採用者の募集を行っていることを書きました。
今回は、募集にて集まった求職者の面接時に色々と質問があったことで多かったことを書いておきます。

現地採用者を面接していると、タイトルに記載したように昇給について聞かれました。正直、私が日本で就職活動をした時は、気にならなかったというか「そんなことを言うと採用してくれないのでは?」と考えて言えませんでした。しかし、タイに来てからタイ人を採用する時や働いている最中なんかでも聞かれることがあったので知らないうちに慣れていました。
ただ日本人の面接時に聞かれたのには違和感があったので記事にしました。

弊社では現地採用の社員(営業)が既に2名います。今回、面接でこんな質問が多かったので彼らに確認したところ、どちらも入社前には気になっていたということでした。(ただ聞けなかったとは言ってました。)
弊社は、年に1回査定があり、年収に対して5%〜10%の間で昇給があります。良くも悪くも何もなければ基本給の6%昇給するのが通例です。営業マンの場合は、営業成績によって上昇することがありますが、ほとんどの場合は賞与に充てられ、基本給は通常通りとなるケースが多いです。
バンコクにある他社に確認してみると、営業の場合、基本給の昇給がないところが多かったです。ただ賞与に換算しているということでした。中には基本給も賞与もずっと変わらないというところもありましたが、そういうところは珍しいようです。

採用しようと思った方を紹介してくれた人材紹介会社の担当者に相談したところ、求職者からの相談で多いのが昇給についての相談とのことでした。募集要項には記載されていても、実際は昇給がないということがあるからとのことです。また、昇給がないことによって退職したり転職したりというケースもあるようです。

現地採用者の昇給についてまとめると、会社によって異なるようです。営業マンだと数字がわかりやすいので昇給がなくても賞与に反映されるというところが多いです。きになる方は人材紹介会社を通して聞いてみるのも良いと思います。

タイの現地採用者の面接について(採用側の考察)

タイで就職活動をしていると必ず必要なのは面接だと思います。(こればかりは、日本での就職活動であっても同じだと思いますが。)

先ず、私が面接時に気になることをあげます。

①挨拶
②履歴書・職務経歴書
③服装

これらが最初に気になります。

①挨拶
日本本社で面接をしていた時は、声が小さいということはあっても全員が出来ていたように思います。しかし、タイにきてからは5人に1人くらいは挨拶が出来ない人がいてびっくりします。挨拶が出来ない人は、10分くらい適当に面接をして帰ってもらっています。もちろん採用しません。

②履歴書・職務経歴書
私の上司からは「パソコンで作っている奴はダメだ。」と言われていましたが、ここ最近は手書きの方が珍しいくらいです。今回、募集をしていて応募者が人材紹介会社を含めると13名いましたが、手書きは1名だけでした。
履歴書・職務経歴書を見てきになるところは、「作成日付」「履歴書の年号の正確さ」「どういった経験か」となります。技術職だと資格や、どの会社でどういったことをしたかまで気になるんだと思います。私のところは、日本人を雇うのは営業だけなので最初の3つと運転免許の有無くらいです。

③服装
ジャケット、靴、手首、手を見ます。他はあまり気にしません

以上が私のきになるところです。
そして必ず聞くことがあります。

(a)自己紹介と今までの職務経験(私は職務経歴書見ながら)
(b)タイで働こうと思った理由
(c)タイでどれくらい働く(住む)予定
(d)タイ人の恋人や家族はいますか。
(e)タイで好きな場所、好きなこと

最後の2つは採用したいと思った人にしか聞いていません。
プライベートなことになるので、人によっては嫌悪的な反応をする方がいるためです。

面接の話をしたので、ついでになりますが面接回数についても触れておきます。

タイでは日本の面接と違って、1次面接・2次面接・3次面接と言ったように、大学時代の就職活動を思い出すくらい面接が多い会社があります。弊社では管理職以外は面接は1回にしておりますが、日本在住者のみ2回面接をしております。
理由としては、会ってお話をしたいというのが一番です。タイに住まれている方、タイに来られて面接が出来る方であれば、直接お会いします。その時に上記の3つを確認します。日本に住まれている方は1次面接をスカイプで行い、2次面接を日本にある本社もしくは支社で行っています。(1次面接を通れば、2次面接で落とすことは少ない)
他社についても確認したところ、同じような理由を述べている会社が多かったですが、中には日本にいる方はスカイプ面接のあと、自費でタイに来てもらい面接を行うというところもありました。自費で来るなら働く意志は強いと判断をするようです。

タイで働いても日本人の働き方は変わらない

私が働いているのは日系企業です。そして私は駐在員です。そのため、お盆休みを取ることが出来ます。普段のお盆休みはヨーロッパへ旅行することが多いのですが、おばあちゃんの7回忌があったので日本に帰っておりました。
その時に、いとこや甥っ子からテレビのイメージのせいか、海外で働くと聞くとアメリカ企業のようなイメージを持つようで、本気で言っているのかさえわからない質問を多くされました。なので、今回はタイでの日本人の働き方について書こうと思います。

海外で働くことを決意される方は、日本での働き方を好きになれずに来られるという方が多いと思います。実際に、こちらで働く現地採用の方と話すと、そういうことを聞きます。

でも、私の会社もそうなのですが、日系企業が海外に進出してきたからといって社風が変わったり、システムが変わったりということは聞きません。(しかし、海外進出して社風やシステムが変わっている会社は、日本も同じように変えたというところはあるようです。)

住環境は全然違いますが、労働環境は大差ないように思います。

昨今、日本で話題になっているのがブラック企業です。サービス残業がどうかだとか、パワハラが酷いとか、セクハラ接待があるとか、そういうことって海外に出てきたからと言って日系企業が大して変わるものじゃないと思います。

これって社内環境が関係あるとは思いますが、上司に依存するところが多いです。「私は先輩から、こう教わった。」ってことを普通に言って、同じことを部下に強要することがあります。これの連鎖がブラック企業を作っているのだと思います。

タイに進出している日系企業の多くは、ここ数年単位の会社が多いので悪しき連鎖が少ないために日本と違うと考える人がいます。しかし、傍目から見ている私にとっては、日本よりも酷いと思うところもあります。そこはお客様の会社だったりするので傍観しています。

私の会社では、日本式を入れるとタイ人がすぐにやめてしまうので海外ドラマにあるような環境になっていると思われがちですが、私を含めて日本人駐在は日本式で働いています。任期が終えて日本に帰ったら対応できませんからね。

なぜ川や水はタイの文化の中心であるのか(2)

水は個人的なタイのコミュニティーでもよく使われます。結婚式では、新郎と新婦の腕に水をかけ、結びつきを強くするという願いを込めます。もちろん、世界中のカップルでもタイで挙式を挙げる場合には、伝統的なタイのお祝いとして、この儀式を行います。しかし、タイは様々な方法の結婚式を用意しています。本当に水が好きな人たちは、年に1回、トランの海で水中結婚式を行うこともできます。他にもタニ州ウドーンでは、赤い蓮の海で結婚式を挙げることができます。これは11月から2月末までがオススメです。もっと思い出深い結婚式にしたいなら、タイの最高峰での結婚式や、タイの象徴である象の上での結婚式はどうでしょう?この国でならできます。

もちろん、タイの水路と川は王国の景色や歴史を形作ってきました。バンコクを流れるチャオプラヤ川はタイの歴史の中でも、最も重要な川です。行政と宗教の中心となったアユタヤ王朝(1351-1767)、トンブリー王朝(1767-1782)、それから1782年から現在まで続くバンコクの3つの中心地は、川に沿って建てられたのです。
タイが世界にその扉を開いた時、チャオプラヤ川は王国の入り口となりました。貿易商人や使節は地域の例に従い、川沿いに家を建てました。今でも、大使館や5つ星ホテル、貿易会社などをチャオプラヤ川沿いに見ることができます。バンコクは運河のネットワークを発達させ、地域の住人はボートを家にしました。
1840年代には、90%の住人が運河に住んでいました。シアター、お店、レストランはボートで営業しており、人々は小さなボートで移動します。このバンコクの水上生活は、東のベネチアと呼ばれています。

川は新しい貿易と産業で動揺しています。最も有名な川沿いのショッピング通りであるアジアティーク・ザ・リバーフロントは、ウォーターフロント施設を改修しました。周辺は食事、雰囲気を楽しむ地元の人だけではなく観光客で溢れています。ヨッピマン・リバーウォークは、シャムの栄光を残した川沿いのモールで、コロニアル様式のつくりになっています。川を感じるには完璧な場所です。チャオプラヤは他にも魅力があります。ワットポーの近くにある、静かで小さなナカラピロム公園はリラックスするにはとっておきの場所で、ローイクラトンの開催地でもあります。
以上のことから、チャオプラヤは国の川として、タイの文化の象徴である国の祭りの開催地となっています。50以上の金色の船(御座船)が2200人のタイ王国海軍の軍人によって堂々と川を下ります。このセレモニーは、オークパンサーと呼ばれる仏教の受難節の終わりに、僧侶に新しいローブを運ぶという特別なイベントです。また王族のメンバーの移動をするためのものです。このような繊細な御座船は特別な時にしか見ることができないので、バンコクで見ることができたあなたはとてもラッキーです。王室御座船博物館で御座船を見るのもいいでしょう。タイの職人の素晴らしい技術を目にすることができます。オリジナルの御座船はラーマ1世によって注文され、タイの神話を元に作られました。

バンコクを離れても、水をベースとしたコミュニティーは見られます。タイの有名な水上市場は人気があり、地元の人々との交流の場となっています。伝統的な料理がどのように作られるのかを見ることができ、雰囲気を楽しむことができます。サムットソンクラーム県のアムパワーのような多くの水上市場では、地域の芸術家を支援し、作品をお土産として売っています。
タイの水路は王様から庶民まで、すべての人々にとって重要です。川は国の歴史と文化や伝統の肥やしとなっています。観光客は、本物のタイを見たいなら、国の精神でもある水に触れるべきです。
これはタイの水路の話ですが、他にも何千という多くの物語があります。世界中からの観光客は、タイで様々な魅力に触れるチャンスがあるのです。

タイで就職する際に必要な語学力はどの程度か?

今、私が働いている会社では日本人のスタッフを募集しています。今までは求人情報サイトに掲載していて、それなりに効果があったのですが、最近は効果が薄くなってきているので、今回からは人材紹介会社を利用することになりました。

そこで人材紹介会社の担当者に何度も同じような質問をされたので、タイで就職したいと考える人はこういったことを考えているのかと勉強になりました。今まで焼き直しのような求人情報サイトに掲載していた募集内容についても、教えてもらったように変更しました。

それは、語学力に関してのことなのですが、タイで就職する際に語学力を気にされているんだということがわかりました。

人材紹介会社の担当者より「御社で働くには、どれぐらいの語学力が必要ですか?」「英語力は日常会話以上でしょうか?」「タイ語は話せた方が良いですか?」など、こういった質問が必ずありました。

弊社の求人募集内容のことから話しますと、英語レベルは必要ありません。
他社は人材紹介会社の方からの話によると日常会話レベル以上を求められるようです。

私が営業で訪問をさせていただく日系企業様の多くは社内コミュニケーションが英語になっていることが多いです。その理由は、管理職レベルの話によるとタイ人において日本語が話せる人よりも英語が話せる人が多く優秀な人が集まって来やすいということが挙げられます。そういった環境なので日本人も英語で話せることが望ましいようです。
ただ私の経験上、タイ人とのコミュニケーションが英語であっても、指示やメールくらいでしか話すことがないので流暢に話せなくても、中学生レベルの英語を会話にすることが出来れば大丈夫だという認識があります。

ただ事務職や管理職になると、タイ人とのコミュニケーションが増えるため、日常会話レベルくらいは必要になるかと思います。私のような営業であれば、あまり必要ではないと思います。

タイで就職したい人の参考になればと思います。

なぜ川や水はタイの文化の中心であるのか(1)

タイという国は、多くの河畔沿いに成長してきました。何世紀もの間、豊富なモンスーンの雨水によって王国の水路を確保し、人々に主食である米や魚を供給してきました。

そこで少し不思議に思うのは、様々な地域の式典や伝統的行事は水を使って行われているということです。

1年間で最も重要な行事は水でお祝いされます。その行事とは、タイの新年のお祝いある、ソンクーランです。1年で最も熱い3日間で、王国は世界で最も大きな水の祭典を開催します。全ての町や村は若者と大人の水の戦いを主催し、一緒に涼んだりします。観光客はこの雰囲気が大好きですが、これは家族のイベントです。家庭や全国の寺院では、ブッダの入浴の儀式として、人々が神聖な水を振りまくために集まります。タイの地方の文化では、恵みの雨を祈るための儀式なのです。
また、これは家族の目上の人に対して、敬意を表す機会でもあります。ソンクーランでは大人たちが、ディンソーポンと呼ばれる化粧用の白粉を、若者の顔や首に塗ります。これは、悪魔を寄せ付けないようにするための昔からの儀式であり、さらに肌を日光から守り、シミを防ぐ効果もあるのです。この方法は世代を超えて伝わっている方法なのです。

1年の終わりが近づくと、ローイクラトンが行われます。陰暦12月の満月の下で開催され、水の神に1年の感謝を伝えるお祭りです。バナナの葉で作られ、香料とランがのった灯篭を王国の水路に流します。花のような灯篭は、作った人の愛、幸運、成功への願いを運ぶと言われています。

ローイクラトンは様々な方法で祝われます。ターク県の南部では、このお祭りはクラトンサイと呼ばれ、クラトンはココナッツの殻で作られます。ココナッツの殻はタイの人気ビーチであるコサムイ、コパンガン、プーケット、コチャンなどで手に入れることができます。ココナッツの殻はワックスでいっぱいにされ、ターク県の主要な支流であるピン川に流されます。チェンマイの北部では、ローイクラトンはイーペンと呼ばれ、火のついたランタンが流されます。運河は明かりでいっぱいになります。

新しい仏教寺院はタイ文化の中心になるか

オレンジ色のローブに身を包んだ僧侶が、タイ仏教センターのホールで、花のアレンジメントに向かい、横1列に座っていました。
訪問者はボウルに入った水を手にし、ゆっくりと僧侶の間を移動します。彼らは手のひらで水をすくい、下の花に水を滴らせます。
タイでは、水の儀式は僧侶の加護を受ける象徴となっています。タイの新年のお祝いの中心的なイベントとなっており、最初のイベントは新しい寺院、セントルイスパークの近くにあった旧ルーテル教会で執り行われました。
寺院はミネソタワットタイとして知られているタイ仏教センターをアップグレードしたものです。メンバーは、この建物が仏教徒のためだけのものではなく、タイの文化を発信する場所になってほしいと願っています。
「私たちはこの場所をタイを学ぶ場にしたいのです。」と、このセンターのプログラムマネージャーのYin Srichoochatさんは言いました。「タイの料理、タイの踊り、タイの言葉、タイの楽器などです。他にこういったことを学べる場所がないですから。」
この地域は宗教的な施設だけを集めたわけではありません。ベテル、ユダヤ教会、ベニルド=セント・マーがレッツスクールもあります。異なる宗教間の関係を構築するにはいい場所になっています。
「これは、他の宗教の代表者たちと関係を築くのにとても良い例となり、お互いに興味を持つチャンスにもなります。」と、ワット・タイのコーディネーター、トレイシー・シュルツさんは言います。

ミネソタ・ワット・タイは2003年に設立され、メトロエリアに創設されたタイの3大仏教セクトの走りですと共同創設者のSutape Ple-Plakonさんは言いました。最初の寺院はベッカーの家でしたが、2006年にエルク・リバーに移転しました。現在では20~30人のメンバーがいますが、文化的なイベントなどには100人以上の地域のモン族が出席することもあります。
エルク・リバーセンターは僧侶が詠唱したり瞑想したりするために人里離れたところにあります。
ミネアポリスから最低でも45分かかり、多くの人にとっては運転するのに遠すぎてしまい、また、大きなイベントを主催するにはスペースが限られていたとSrichoochatさんは言います。
ミネアポリスでアメイジング・タイランドというレストランを経営するDee Noreeさんは、昨年ワット・タイの代表者に選ばれました。1月、彼は2年以上使われていなかった旧ルーテル教会を購入したのです。
数ヶ月以内にワット・タイは古い教会を寺院に作りかえました。僧侶とボランティアの人々が電気や配管を直し、壊れた窓を入れ替え、壁の落書きを塗り替えました。大きな黄金のブッダと他の小さなブッダは寺院の瞑想スペースに設置されました。
リノベーションの多くは僧侶たちによって行われ、そのうちの3人がワット・タイに配属されました。オレンジ色のビーニー帽にハンティングジャケットを着て、朝と夜の詠唱の合間に掃除をしてきました。
この新しい施設は、バーチウッドの人々に歓迎されました。バーチウッド近隣協会のマーガレット・ログ共同代表は、住人たちは教会の建物を存続させることができ、喜んでいると話しました。
「この建物が残るということに、とても感謝しています。」とログ代表は言います。「それだけではなく、私たちに文化の多様性をもたらしてくれるのですから。」。この感想は、ログ代表とともにタイのニューイヤーフェスティバルに参加したセントルイスパークのジェイク・スパーノ市長も同じようです。
「1つの宗教コミュニティーが出て行き、新たな宗教コミュニティーが入ってきました。」と彼は言います。「それはアイデンティティ、参拝所という特徴を残しています。」
タイの新年を祝う1週間前、ベテルのラビ・アレクサンダー・デービスさんは寺院を訪問し、イベント時にユダヤ教会の駐車場を開放したいと申し出ました。
デービスさんは仏教徒の隣人たちと仲良くなりたいと願っており、集会のメンバーにも彼らの伝統を学んでほしいと思っています。
「文化的交流が可能となり、教育の機会や資源分配も進めて行きたいです。」と彼は言います。「まずは相互理解を進めて行きたいです。」

寺院は2018年のオープンに向けて、やるべきことはまだまだあります。薄くなった青い外壁は少しずつ削り、少し補強が必要です。
ニューイヤーフェスティバルで、寺院は日曜日には人で溢れました。参加者のほとんどはアジア系で、他のバックグラウンドを持つ方々も参加してくれました。
「私たちは全ての人を招待します。」とPle-Plakonさんは言います。「あなたが仏教について学びたいと思ったり、敬意を表してくれるのなら、いつでも歓迎します。」
トロピカルシャツやドレスを着て、参加者はパレードし、伝統的なダンスを披露しました。出店ではパパイヤサラダ、タピオカジュース、焼き鳥などが提供されました。
現在は12人以上の僧侶が所属しており、Phraathikan Prapatphan Ritsakunwongさんは12月にタイからミネソタにやって来ました。
「私はとても楽しみにしています。エルク・リバーの時には、そこまで多くの人は来てくれませんでしたから。」と、彼はタイにいるときに話していました。
センターは7月にさらに2人の僧侶を受け入れます。シュルツさんは彼らのための家を今年中に作る予定ですと話しました。
アメイジング・タイランドのシュルツさんは近隣の人たちの歓迎ぶりに喜び、驚いたと言います。
「人々は他の文化を知る方法を探していて、異文化に対してオープンで受け入れてくれるということを表明してくれました。」と彼女は言いました。「そして、私たちはとてもいいタイミングでここに来られたと思っています。」

タイがシンガポールと北朝鮮のハイブリッドになりつつあると指摘

アピチャートポン・ウィーラセータクンは香港を羨んでいます。
タイが2年前に軍事政権となって以来、現行の政治的混乱は国を後退させ、国の男たちの自由を脅かすのではないかと彼は言います。
ウィーラセータクンは、母国のことを「シンガポールと北朝鮮のハイブリッドになってきています。」と言います。

アピチャートポン・ウィーラセータクン – Wikipedia
美術家。チェンマイを拠点に映画やビデオ映像、写真を制作する。愛称は、ジョー。

9月17日、「狂気の静けさ(The Serenity of Madness)」と題した自身初の単独移動展覧会のオープニングのため、香港にいました。11月27日まで展覧会はNPOアートスペース「パラサイト」で開かれ、ビデオ作品、写真、彫刻などタイの最近の政治システムを反映した作品が展示されます。
中でも「ブンミおじさんの森」は、多くの映画で賞を受賞しています。2010年のカンヌ国際映画祭でタイ人で初めてパルムドールを受賞しました。

ブンミおじさんの森 – Wikipedia
あらすじ – タイ東北部。腎臓の病により死を前にしたブンミおじさん。後先長くないことを悟り、ある時死んだブンミの妻の妹・ジェンとトンを自らの農園に呼ぶ。三人で食卓を囲んでいると、突然女性の幽霊が出現する。それこそが19年前に亡くなったブンミの妻・フエイだった。しばらくすると、今度は長年行方が分からなくなっていたブンミの息子・ブンソンが姿を変えて現れる。愛する者たちを取り戻したブンミは、4人で森の中に入っていく。

展示は、香港の立法会議の劇的な選挙の2週間後から一般公開されました。人々は完全な民主主義を楽しんでおらず、さらなる改革を求めて投票しています。

タイは国がどれだけ後退しているのかを直視できません。常に文化の発展のために政府の援助を夢見ていましたが、今では政府は変わり、計画はほごになりました。代わりに文化発展のための費用は軍事費として使われているのです。また、検閲もあります。

私は、香港で文化がコミュニティーの一部になること、香港の人々が自由を楽しんでいることを羨ましく思います。

タイにおける検閲の促進は、無言の批評家たちを標的としていると、ウィーラセータクンは考えています。そしてそれは、芸術を作り出すことを難しくするだけではなく、展覧会を主催することも難しくしています。芸術家は病気の兵士を取り上げた2015年の映画「光りの墓」の公開をタイ国内ではやめました。これは政府の検閲を避けるためです。
事実、多くのタイ人は軍事政権下では状況は悪化すると諦めていると、ウィーラセータクンは考えています。
根深い混乱の文化では多くの世代が業の法則を信じ、軍隊を認めるという事態に発展しています。
軍隊の司令官たちは力を強め、政治のプロセスは議会ではなく力によって解決されています。人々はこれに慣れてきてしまい、今では軍隊を受け入れてしまっています。人々は面倒を見てくれる「親」を必要としていて、その親は戦車や銃から社会を守ってくれるのです。
ウィーラセータクンは、タイの人々は、まだ政治への関心が低いと感じています。しかし、何人かのアーティストは、政府から是正勧告をされるかもしれないにもかかわらず、現状に対する怒りを芸術で表現していくことを明らかにしています。この是正勧告には、芸術作品の阻止や政権への批判をやめさせる狙いがあります。

ウィーラセータクンの作品は自身の個人的な思い出やタイの文化を反映していると言いますが、必然的に政治的要素も潜り込ませているようです。彼の2009年のマルチ・ビデオ・インストール作品「プリミティブ」は、現在ロンドンのテート・モダンで公開されています。この作品はタイ北東部にある村、ナブアの夢のような記憶を再現しています。これは1960年代のタイの軍隊と共産主義者との衝突を思い起こさせ、これから先タイの政治がどうなっていくのかという疑問を投げかけています。

最後に「創造的な人々は疑問をあらわにしなければならないのです。」と彼は言いました。